私の過去、アトピー克服体験

今日は私のアトピー経歴をまとめてみました。私のアトピー克服は、温泉湯治と食事療法の徹底できれいに治すことができました。

発症からステロイド治療が効かなくなるまで

小学生時代の平熱は35℃台

小学生時代は、その後のアトピー人生を考えると今でも信じられないのですがずっと美肌だと言われていました。

あの頃は当たり前だと思っていたのですが、平熱は35度前半でした。今思えば青白い顔をしていましたね。

健康的な肌を取り戻した今は36.8度が平熱ですので、むしろ37度近くだと風邪はひかないし免疫力もあがり感染症にもかからなくなりました。

それでも当時は水泳をしていたおかげか、自分を虚弱体質だと感じたことはなかったです。

運動は得意で活発でしたし、近所の男の子とも一緒に元気に外で遊んだりもした少女時代でした。

アレルギーの始まりは部活中のくしゃみだった

最初にじわじわとアレルギーらしき症状が出てきていたのは中学一年生のとき。

当時吹奏楽部にいた私は、部活の練習中にいつも決まってくしゃみが止まらなくなり目が猛烈に痒くなることがありました。あまりに痒くてそのときは目を真っ赤にして帰宅しました。

翌日寝ると元にもどっていたりするので気にしてはいなかったのですが、このような症状は度々ありました。

突然襲い掛かる目の痒み、くしゃみ、鼻水。季節の変わり目に起こっていたような気がしますが、肌には出ていなかったのでそのままやりすごしていました。

最初に肌に出たのは手首の湿疹

その年の夏に今度は手首に湿疹が出てきます。

痒いなと思って何気なく掻いたら今回ばかりは普通の傷とは違うような広がり方だったので、そのときは皮膚科に行きクリームと飲み薬をもらい、すぐに症状は落ち着きました。

まだ炎症も軽く、薬をやめてそのまま放置しておけば良くなったのでそのときも特に体調のことを気にすることはありませんでした。

そして高校1年の夏、以前手首だけだった炎症は腕、顔、鎖骨など目立つところにまで広がっていきました。

紫外線アレルギー?

今度は以前のように皮膚科にいってもすぐには良くならなかったので今度は友人の勧めで家から一時間ほどの場所にある有名な皮膚科へ行きました。

初回の診断では紫外線アレルギーと言われ、今後は極力日光に出来るだけ当たらないようにと言われました。

そこではオリジナルクリームと言われた真っ白なクリームを大きなヘラを使って看護婦さんが一センチ厚さでべったりと塗りつけます。

軽症から重症まで、全ての患者に同じクリームを渡されていました。そしてピンク色をした内服薬。

 

それからガーゼでぐるぐる巻きにされ、飲み薬を処方されました(後から確認するとステロイドの内服薬でした)。

長時間、陽に当たるのは厳禁でしたので、それ以降は体育の時間を見学をしなければいけなくなり体調もいよいよ悪くなりました。

薬を塗ればピタリと痒みが止まり、ステロイドを飲めば劇的に肌は変わる。それはもう子供の頃の私にとっては魔法のようでした。

この薬を飲んでいれば綺麗な肌でいられるんだ!と安心していたのです。

そのころは薬については無知だったので、何も疑わずに病院で言われた通りに薬を飲み続けていました。

今思えば、もう少し薬についても勉強すべきでした。

言われるがまま、出されるがままに薬の投与を続けていたのです。

皮膚がどんどん薄くなっていく

ステロイドの内服と外用薬は約2年間ほど続けていました。

いつものように薬を飲み、たっぷりの薬をヘラで塗り続ける日々。

次第にからだに異変を感じるようになりました。

あれ?何か肌がおかしい?

翌朝鏡を見てみると、私の肌の色は赤茶色に変わってしまい、皮膚がとても薄くなっており少し手で触れただけで血が出てくるほど過敏になっていました。

どうしよう。これはまずいかもしれない。

ついに薬が効かなくなる

それからは少しでも日に当たれば顔が真っ赤に腫れあがるようになりました。

部屋の電気の光さえも、気持ち悪く感じていたのを今でも生々しく覚えています。

顔が3割増しくらいに腫れて体から常に浸出液が流れる。

薬が効かなくなってきた頃、本当にこの先どうしたらよいのか分からず近所の図書館に一人で向かっては毎日アトピー関連の本を読み漁るようになり、そのときに薬の副作用についても知ることとなりました。

特に本ではステロイドの内服薬については長期に渡って使用することはかなり危険だということを知ったのです。

易感染性、ムーンフェイス、倦怠感、吐き気、頭痛、血圧低下、生理不順・・・

副作用の内容はどれも実際に自分に起こっていることばかりでした。

この日を機に、脱ステをすることにしました。

高校2年の夏でした。

脱ステロイドから温泉治療にいたるまで

脱ステロイド開始

高2の一学期の終わりごろすぐに薬をやめました。運よく夏休みに入るところだったので、どんなに悪化しても大丈夫、一ヶ月もあれば回復に向かうだろうと軽く考えていました。

しかし・・・。

薬のリバウンドは、想像を絶するほどのスピードで肌は落ちていき、ものの見事に重症アトピーと変わっていました。

それも薬のリバウンド症状は、一か月どころか数年に渡って苦しむこととなったのです。

翌日には顔から大量の浸出液が溢れ出してきます。ふいてもふいても、液体が流れてくるのです。

炎症のなかったところまで、上半身はほぼ全域に渡ってずるむけになり赤くなりました。

人のからだは一日でこうも変わるのかという豹変ぶりでした。

毎朝起きればシーツには血がたくさんついており、顔は誰かに思い切り殴られたかのような無残な姿に。

人相はすっかり変りはて、眉毛、まつげもほとんど抜け落ちました。

変わり果てた自分の姿をみて、涙が溢れてきてはその激痛に耐えなければならない、そんな日々でした。

顔はパンパンに腫れ、耳も口も切れており、食事をとる気力もなくこの頃は筋肉も落ち、体はみるみる痩せ細っていきました。

湯治+自然療法との出会い

リバウンド中は、とにかく希望が欲しくてずっと本を読んでいました。様々な本を読み進めていくうちに、自然療法や自然治癒力、湯治の本を見つけました。

最初に手にとったのは日本オムバスという会社の本です。

そこには私の離脱症状と似たような方やそれ以上にひどい方の症例も載せてあり、アトピーが良くなっていく経過、そして最後には素晴らしくきれいに治っている写真までありました。

あのときの感動は今でも忘れられません。

アトピーって完治できるんだ。

自宅湯治+温泉湯治スタート

大学に入学してすぐに車の免許をとったので、自分で県外の温泉地まで通うようになりました。

温泉に入ると肌の調子がぐんぐん良くなっていき、大学2年の秋には顔の症状も落ち着いてきたので、このまま一気に治そうと思い、講義が終わって帰宅したらすぐに熊本の山鹿温泉へ通っていました(当時福岡に住んでいたので片道3時間、計6時間の運転でした)。

毎日福岡→熊本の往復で、帰宅後には夜中の3時を回っているということが茶飯事でした。

通っていた大学は、ほぼ毎日実習や実験があり、正直体はかなりきつかったです。

あの頃は不眠症で全く眠れていなかったので、どうせ眠れないんだったらドライブついでに温泉に入ろうという感じでした。

何といっても、あの頃は若かったのと、家にいたくなかったのと、とにかく早く治したいという一心でこのような生活をずっと続けていました。

まだまだ変動の激しい肌ではありましたが、秋になると顔の調子がようやく落ち着いてくるようになっていました。

温泉は私の痛々しい肌を癒すのには最適で、大学を卒業後企業に就職してからは最初のボーナスで自宅全ての水を変える浄水器をとりつけ、本格的に温泉湯治を開始しました。

しかし・・・。

その後も一進一退を繰り返しながら、ついには働きながら続けた湯治生活に無理がきたのか、第二のリバウンドと思うくらいにまで肌が悪化してしまいます。

このままいけば良くなるかな。

元の肌に戻るかな。

少しでも期待すると、春以降には感染症にかかり一気に調子が悪くなるの繰り返し。

これがステロイド内服による後遺症なのか、約4年間ほどは肌が驚くほど不安定でその後もカポジ水頭症には何度もかかったりと散々の日々でした。

もちろんカポジになったときは、あまりにひどかったので部屋から出ることもできませんでした。

学生時代とは違い、思うようにいかない自分自身の体調をみてとても焦っていました。

いつこの苦しみから解放されるんだろう。

これを一生繰り返すのか。

もう嫌だ。

それからは冷静に、アトピーがなかったころの時代のこと、食べ物のこと、自分がアトピーになった原因を一から考えるようになりました。

田舎に移住。一人暮らしを始めてみた

当時、オムバスの湯治施設が福岡うきは市にあったので一か月ほど宿泊して肌の調子があがったのを機会に、引っ越して自炊生活を始めることにしました。

まだ本調子ではなかったけれど、全て自分のペースで生活できたことは私にとっては改善の第一歩だったと思います。

家族とは食生活がまるで違うのと、自分自身の将来を見つめなおすためにも必要な時間でした。

このときは会社を休職しての一人暮らしだったので、上司も先輩も同期にもみんなに心配をかけてしまいましたが。

アトピーが爆発する前は、普通に出勤していたので、いつもニコニコして仕事をしていたから無理がきてうつになったんじゃないかと思われていたみたいです。

私の場合、職場にはかなり恵まれていました。

会社の方々からは本当に親切にしてもらっていて、手紙や色紙をくれたり、出張のお土産や肌に優しい保湿クリームや化粧水のプレゼントを送ってくれたりと、もう何と言ってよいのか申し訳なさMAX!

それでも一人暮らしをしてよかったと思えるのは、働いて貯めたお金をやりくりしながら自炊生活ができること。

会社復帰についても、その後の将来についてもずっと考えていました。

幸い、近所に図書館があったので移住してからも図書館にはよく通いました。

移住先で最終的には肌が回復し会社にも無事復帰できたのですが、休職のころから支えてもらった会社のことを思い出すとありがたくて今でも泣けてきます。

食事療法の徹底とアトピー完治まで

夫との出会い。そして結婚

実は、田舎に移住していたときに夫と出会いました。夫は神奈川から移住してきていました。

当時は夫の方はすでに良くなっていてお肌は普通の人よりもきれいでツルツルでした。

初めて会ったときもいいなあ、こんなにきれいに治っていてと夫の肌をジロジロとガン見してしまったくらいです。(失礼!)

逆に私はというと、、肌はボロボロ。

特に当時は目の周りが薄くなっていたのでよくパンダのようになっていたのですが、お互いアトピーを治す目的で来ていたので、外見はもうどうでもよいというか、顔とか全然気にしていなかったしお互い恋愛どころではなかったのが正直なところです。

ただ、素の自分を出せていたのは初めてかなというくらい一緒にいてストレスフリーでした。

仕事のことや家族のこと、将来の夢などいろいろ語り合いましたね。

話が尽きなかった。

それぐらい何でも話せる人です。

私たち夫婦は、恋人というよりも親友という関係に近かったですね。

どんなに大変なことがあっても一緒にいると笑える私たち。

結婚するまであまり時間はかかりませんでした。

 

助産院で徹底した食事スタイル

結婚は26歳の春。自分が想像していたよりもずっと早い結婚ではありましたが、トントン拍子に決まりました。

6月に行った新婚旅行の後に妊娠が発覚し、産院探しが始まりました。

実は私のアトピーを完治に導いてくれたきっかけとなるのが、助産院との出会いです。

妊娠して一番不安だったのが、子供に両親のアレルギー体質が遺伝するのではないかということ。

もう、それだけでした。

幸い、温泉湯治で脱ステも成功しほぼ普通の人と同じような生活を過ごせるまでには回復していたのですが、何しろ一時私は重度にまでいったアトピー持ちです。

妊娠当初はまだ、首元から鎖骨あたりが敏感で完治というまでには至ってはおらず、産院選びには散々時間をかけました。

そこである自然出産をしている助産院を見つけます。

そこでは、徹底した食事管理に加え生活習慣、運動など助産師さんから厳しく指導されます。

近所には、フレンチのフルコースが出たり有名店のケーキを出す産婦人科もありましたが、助産院の方針を見て私は迷わずここだ!と直感で決めました。

助産院では和食中心、特に徹底したのは砂糖抜きの食生活に変えたことです。

当時の私はまだ体にアトピーが残っていたので、むしろそれぐらい徹底した方がありがたいと思い、食事改善にはスムーズに取り組めました。

ただ、私は昔からお菓子作りが趣味で、学生時代には毎日のようにケーキやクッキーを焼くのが日課だったほど甘いものが大好き。

食事日記をつけだしてからは自分でも昔はかなり甘いものをとっていたなと実感しました。

砂糖中毒でしたね、本当に。

妊娠中は献立をたてながら体を鍛えていくうちに、体調がどんどん変わっていくのを感じました。

次第にあれだけボロボロだった肌に透明感が出てきたのを実感すると、食事作りがとても楽しくなり、マクロビ師範の資格、そして薬膳の資格もとりました。

お米・野菜を無農薬・自然栽培のものに切り替えてからは、農薬以外にもF1種のことや固定種のことについても学び、さらには遺伝子組み換え食品の実態についても深く学びました。(こちらはまた別の記事にまとめます)

 

助産師さんも驚きのスピード安産!そしてその2年後には完治へ

妊娠中は掃除機にも頼らず毎日雑巾がけとキッチン台を利用してのスクワットをしました。とにかく毎日拭き掃除。

幸い、経過がずっと良好だったので体をよく動かすようにしていましたね。

中でも一番重要なのが体を冷やさないようにすること。

出産は陣痛が始まり産院についてからはものの5分で産まれてるというスピード出産でとても楽なお産でした。

産後の経過も順調で、からだがスっと楽になりますますお肌は丈夫になっていきました。

産まれてきた子供はというと・・・一言でいえばエネルギーに満ち溢れた子です。

あまりに元気が良すぎて、最近は怪我も絶えないお転婆娘です。

アレルギー・アトピーは一切ありません。

私はというと今ではスキンケアを忘れるほど肌が潤うようになり、何にでも反応し過敏だった肌はすっかり姿を消していました。

水療法、医療電子機器、SOD食品、乳酸菌サプリ、クロレラ、高額な化粧水などを試してきましたが、確実にお肌の変化を感じられたのは良質な温泉で肌の改善を促し、体質改善の基本ともいえる食生活を正すことでした。

 

過去においての話はまだまだ書き足りないくらいくらいですが、長くなっしまったので、後日私が完治にまで続けてきた生活習慣全てをご紹介していきたいと思います。